第4回 飛行機を飛ばすだけではない!? 「戦闘機のテストパイロット」の仕事とは?

自衛隊とメーカーの橋渡し役となる

テストパイロットは飛ぶだけが仕事ではありません。
その時間の多くは、自衛隊やメーカー様の技術者との意見交換に使われます。それも新規飛行機を開発するとなれば、その期間は数年にも及びます。

私の場合、F-2がFSXと呼ばれていた時代から関わっていたので、初飛行まで10年近く担当していました。最初の5年は自衛隊のパイロットとして、後半の5年は三菱重工のパイロットとして担当しました。
このためF-2については、その部分がなぜそうなっているのか、といった部分まで知識として知ることができました。極端なことを言えば、その部分の担当はどこのメーカーの誰の設計かまで知ることとなりました。


YouTubeにアップされている、1995年10月7日(土)にXF-2試作1号機が名古屋空港で初飛行を行なった際の映像

運用パイロットと技術者の間の“通訳”

これらの仕事のほかに、運用パイロット(部隊で実際に飛行しているパイロット)の方々の意見を聞いて、それを技術者に通訳する仕事もあります。
普通の運用パイロットは直感で飛行機の感想を述べます。これでは技術者は理解できないため、悪くすれば誤解する場合もあります。そこで途中にテストパイロットが入り、運用パイロットの意見を技術的用語に変換して技術者に伝えるのです。

例えば、(運用パイロットは)「この飛行機、頭の上(あが)りがとろいし、グニャグニャ」というように飛行機を評価します。多分これで世界中の戦闘機乗りはイメージが沸きますが、設計者にはまったく意味が分かりません。

そこでこれを運用パイロットに質問をしながら、技術者に「ピッチの立ち上がりが遅く、その後の動きも引舵力に比較してピッチレートが出ていない」(※1)と言い換えます。
このように言えば、技術者はピッチの制御方法を変更する方向性を見出すことができるようになります。

テストパイロットは毎日同じ飛行機に乗って空中戦などの訓練をしているわけではないので、実際の飛行機の使用実感を得ることができません。
ですから運用パイロットの意見を聞くことは、いい飛行機を作っていくために大変重要になります。

 

なお、(※1)のところを一般の方にも分かるようにさらに“通訳(説明)”しますと、つまりは「操縦桿を引っ張っても、思ったより機首の動きが遅い」ということです。
引舵力とは操縦桿を引く力で、ピッチレートとは機首が上下に動く速さを意味します。

パイロットとしては、自分が操縦桿に入れた力と飛行機の実際の動きのイメージが一致してほしいわけです。
そのため、例えば5Gをかけようとして操縦桿を引っ張った場合に、飛行機の機首が動き始めるまでの時間や、実際に5Gがかかるまでの時間、さらには最初の機首の動きや、その後の機首の動き、その力量(力感)などを、パイロットの使いやすいように技術者に調整してもらうのです。

昔の飛行機は設計・製造したときのロッドの長さや、途中に入れられているバネの力、それらの重さなどによって(機体ごとに)感覚は違うので調整は難しかったのですが、フライ・バイ・ワイヤ(FBW)になってからはプログラムの中の係数を変えるだけなので、技術的には簡単になりました。

渡邉吉之・著
『戦闘機パイロットの世界
“元F-2テストパイロット”が語る戦闘機論

飛行時の体感から、計器・HUDの見方、エンジンスタートから着陸までの手順、空戦やマニューバー、失速や緊急時の対応方法まで!

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渡邉吉之元航空自衛隊パイロット、テストパイロット
(わたなべ・よしゆき)
1951年東京都生まれ。防衛大学校を経て航空自衛隊へ入隊。第8航空団(築城基地)でF-4EJ、飛行開発実験団(岐阜基地)でF-15J戦闘機などのテストパイロットとして勤務。操縦経験機種は各種戦闘機のほか、グライダー、軽飛行機、練習機、大型輸送機、ヘリコプターなど30機種におよぶ。
1990年、F-2支援戦闘機の開発のために三菱重工業に移籍。新製機や修理機のテストフライトを担当し、設計の改善等をアドバイスする。1995年、F-2の初フライトを成功させる。その後、同社の戦闘機の生産拠点である小牧南工場の工場長などを務める。
著書に『戦闘機パイロットの世界』(パンダ・パブリッシング)、共著に『零戦神話の虚像と真実』(宝島社)がある。