「追尾戦でジャイロ式照準器が役立つ」と言えるメカニズム
まずは、旋回に入った敵機が弾丸到達時間後までに移動する角速度をAとします。自機も同時に旋回に入りますが、計測の瞬間の微小時間で考えれば直進中と見なすことが可能なので、以下の[図3]が成立します。
このとき、自機の直進進路(機首方向)と弾丸到達時間後の敵機の位置を結んだ線の成す角がBで、これがこの場合の偏差角になります。
とりあえず[図3]から読み取っていただきたいのは、
- 自機の直線進路と旋回半径は円と接線の関係となるため、常に90度の角度を成す。
- 旋回半径は一定なので、弾道により角Aを頂点とする二等辺三角形ができる。①で見た条件からその角Cと角Bを合わせると、常に90度になる。
- そこから[図3]のような計算で、「(敵機の)旋回角速度A=偏差角B×2」が常に成立する。すなわち両者は正比例の関係にあり、常に一定である。
- 以上から、弾丸到達時間までに敵の旋回する角速度Aが一定なら、俯角Bも常に一定である。このため角度Bでジャイロ軸と照準点を固定してしまえば、前回見たのと同じように、旋回中の敵機をジャイロ軸の先に捉えるだけで、照準点が自動的に敵機の未来位置を示す。
……ちょっとややこしいですが、分かりますでしょうか。この原理によって、最初は自機の正面にいる敵に向けてジャイロ軸を固定し、その後、敵機を照準点に捉えながら弾丸の飛翔時間分だけ旋回したときに成す角度で両者を固定してしまえば、以後、その未来位置は予測できる、ということです。
もっとも実際の敵機はそんな単純な運動をしてくれるとは限らないので、完全な予測ではなく、あくまでおおよその予測となります。
それでも実際にイギリス空軍が装置をつくってテストしてみたら、従来よりもはるかに優れた命中率を実現してしまったのです。このため、第二次世界大戦中末期から、この原理を使ったジャイロ式照準器が登場してくることになります。
ジャイロ式照準器の歴史
そもそもは、イギリスの王立航空庁(Royal Aircraft Establishment)の研究者カニングハム(Cunningham)が、ジャイロスコープを使えば敵機の未来位置、すなわち必要な俯角を予測できると気が付いたのがジャイロ式照準器誕生のきっかけでした。原理はすでに説明した通りですが、カニングハムがどのような推測でこの結論に至ったのかははっきりしませぬ。
とりあえず、イギリスのジャイロ式照準器は1941年の春にはすでにスピットファイアでのテストを開始していますから、その研究は意外に早くから始まっています。その後、1943年末から試験運用を開始、1944年には本格運用を始めています。
その後はアメリカにも供与が開始され、大戦末期には連合軍側では海軍も含めて、ほとんどの機体に搭載されるようになっていました。
ちなみにドイツも似たような原理の照準器を開発しており、大戦末期にRevi EZ 42というジャイロ式照準器を完成させています。ただしこちらはFw190とMe262の一部の機体に搭載はされたものの、本格的には実戦投入はされずに終わってしまいます。
一方、イタリアや日本では全くそんなものは存在せず、ソ連も恐らく供与してもらっていないまま終戦を迎えていると見ていいでしょう。
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