第9回 レーダーにより一つの完成形を迎える──レーダー測距付きジャイロ式照準器

長く使われた射撃照準用レーダーAN/APG-30

F-86は終戦後の1947年10月に初飛行した傑作ジェット戦闘機であることは皆さんもご存じだと思いますが、初期生産型であるA型は当初、第二次世界大戦世代のジャイロ式照準器を搭載していました。その後、A型の最終生産分からレーダー測距を採用した新型の照準器AN/APG-30に置き換えられ、いよいよレーダー射撃照準が実用化の段階に入ります。

ちなみにAN/APG-30は銃器用の航空照準器としてかなり長く運用されており、F-86の後継機であるF-100や、さらには米海軍のF-8などにも搭載されたようです。

[図7]は機首部の空気取入れ口の上のレーダーカバーを外した状態です。白い部分がレーダーアンテナで、その後部、つまり機首部上部がレーダー関係の電子装置が入っている場所となります。

[図7]F-86のレーダーカバーを外した機首(Photo:夕撃旅団)

この時代には集積回路はもちろん、トランジスタすらありませんから、すべて真空管世代であり、単純な電子装置でもかなりの大きさになっていました。このあたりから、のちの射撃管制装置(FCS)に繋がる電子化が始まったのだとも言えます。

 

[図8]は航空自衛隊で使用されていた機体のコクピットで、白枠で囲んだ部分がレーダー測距を採用したジャイロ式照準器(AN/APG-30)の照準器部分です。

[図8]白枠がAN/APG-30の照準器部分(Photo:夕撃旅団)

後から周りにいろいろなものが取り付けられてしまってゴチャゴチャしていますが、とりあえずジャイロ式照準器の特徴である横長の反射ガラスであることが見て取れると思います(従来の固定式レティクルと、ジャイロスコープに連動して動く可動レティクルを投影する装置が二つ並んでいるため)。

このAN/APG-30の登場で、敵機までの距離はレーダーによって正確に測距できるようになったわけです。そして敵機の未来位置を示す偏差もジャイロ装置が自動的に示してくれることになり、パイロットの技量は純粋に機体の操縦技術で決まる、すなわち誰でも敵のケツを取ればほぼ確実に撃墜できるようになった!……はずでした(笑)。



実戦では故障も多かったが、一つの完成形となる

実際、きちんと使えればその通りなのですが、このAN/APG-30は故障も多かったとされ、朝鮮戦争にF-86が投入された際にはパイロットから不評を買っていたようです。

例えばジャイロが止まるとか、レーダーが効かない、場合によっては投射されているレティクルが消えてしまうという事態すらあり、出撃前に噛んでいたガムを反射ガラスに貼り付けてレティクルが消えた場合に備えたという伝説もあるようです。

それでも想定どおり機能すれば極めて有効な装置であり、機体性能で劣るMiG-15に対してF-86が互角以上に戦えた一因にはなりました。

[図9]朝鮮戦争で6機目のMiG-15を撃墜した2日後の1953年7月13日、F-86と写真に収まるジョン・F・ボルト少佐(Photo:U.S. Marine Corps)

ちなみに北朝鮮上空で撃墜されたF-86の一部は中国軍が回収し、ソ連軍に引き渡されていました。その中で、このレーダー式照準器もソ連の手に渡ってしまい、それまでまともなジャイロ式照準器すら持ってなかったと見られるソ連の戦闘機の性能を一気に跳ね上げる一因となりました。

そしてそれらを搭載したMiG-17やMiG-21によって、アメリカはベトナムの空で悩まされることになるのです。皮肉といえば皮肉な技術戦争でした。

といった感じで銃器による航空機照準は、ジャイロとレーダーの搭載によって一つの完成形を迎えたわけです。とりあえず、今回はここまで。

 

連載「いかにFCSは生まれたか」第9回─終─


夕撃旅団・著
『アメリカ空軍史から見た F-22への道』 上下巻

究極の制空戦闘機F-22は、どのように生み出されたのか。その背景を、アメリカ空軍の成り立ちまで遡って考察していく1冊

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著書に『ドイツ電撃戦に学ぶ OODAループ「超」入門』『アメリカ空軍史から見た F-22への道』上下巻(共にパンダ・パブリッシング)がある。