第3回 リボルバーの日露戦争──26年式拳銃 vs ナガン

当時の日本は鉄の強度に自信がなかった

26年式が低威力なのは薬莢の中の火薬の量が少ないだけでなく、弾丸に対して銃身がユルイいのだ。

弾丸の直径は9.10mmなのだが、ライフリングの谷径は9.3mmある。一応、弾丸はライフリングに食い込みはするのだが、弾丸はライフリングの谷を埋めておらず、ライフリングの谷から火薬の燃焼ガスが漏れているのだ。

なんでこんなことになったのか。設計者は理由を書き残していないが、当時の日本の鉄の強度に自信がなかったのだろうと言われている。

なにしろ明治時代、小銃を国産していたといっても、その銃身の鋼材は輸入していたような状況だったから、元折れ式拳銃の結合部の強度にも自信が持てなかったのかもしれない。それならそれで元折れ式をやめて、コルト・ピースメーカーのような一体式のフレームにすればよかったろうにという気がする。

元折れ式(中折れ式)である26年式拳銃を折ってシリンダー後部を開いた状態。この状態で弾薬の装填や排莢を行なう。元折れ式は強度に問題があって高圧な弾薬を使えないため、この方式を採用する現代リボルバーはあまりない(Image:かのよしのり)
一体式フレームを採用しているコルト・"ピースメーカー"(コルト・シングルアクション・アーミー)。西部開拓時代から使用されていた拳銃で、1875年にアメリカ陸軍で制式採用されている(Image:Hmaag氏の写真を切り抜き)



呆れるほど弾込め(とくに排莢)が不便なナガン

だが、ナガンはナガンで、「何でこんなものを軍用拳銃にした?」と思うほど弾込めが不便なのだ。

26年式は元折れ式である。銃を折ってシリンダー後部を開く。の働きでエジェクターがカラ薬莢を一度に押し出す。

そして新たに実包を装填する。ハーフムーンクリップとかスピードローダーとか使えればいいのだが、そういうものが発明されていない時代なので、バラの弾を押し込むのだが、それでも元折れ式リボルバーの再装填は楽だ。2発くらいつまんで一度に入れることだってできる。

 

ところがナガンは、まず銃身の下にある棒を指でつまんでクルクル回してネジを緩め、棒を横へ動かして前へ引き出し、シリンダーの前から押し込んでカラ薬莢を押し抜く動作を、シリンダーを1発分ずつ回しながら7回やる。

そしてシリンダーを1発分ずつ回しながら7発弾を込めて、ローディングゲートを閉じて、また棒をくるくる回して固定ネジを締めて装填完了だ。最初の7発を撃ち終わったら、次の発射のために再装填している間に、26年式は3回か4回再装填して18~24発撃ってくるだろう。

ローディングゲート[矢印]を開いた(下ろした)状態のナガン(Image:Olegvolk氏の写真に矢印を追加)
ローディングゲートが解除されていないナガンの右側面を少し下方から見た写真(Image:Vikiçizer氏の写真をトリミング)

ナガンのこの再装填の不便さは話にならない。戦場へ行くなら、これより古い黒色火薬のコルト・ピースメーカーでも持って行ったほうが、まだましだというものだ。できれば、この時代のリボルバーということならウェブリーでも持って行きたい。

26年式と同じく元折れ式のウェブリーMk.VI。1887年にイギリスで開発され、1963年までイギリス帝国軍や連邦諸国軍で広く使用された。.455口径で自動排莢装置を備えていた(Image:Rama)

いや、この時代の拳銃なら何でも選べるというなら、のちにイギリスの首相になった若きウィンストン・チャーチルは日露戦争の6年前のスーダン戦役にモーゼルC96自動拳銃を持って行った。26年式とモーゼルの自動拳銃、この落差は何なのだ?

ドイツ帝国で開発され、1896年から製造が開始されたモーゼルC96のプロトタイプ。口径こそ7.63mmだが初速が速くて威力があり、自動射撃が可能であった

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かのよしのり
1950年生まれ。自衛隊霞ヶ浦航空学校出身。北部方面隊勤務後、武器補給処技術課研究班勤務。2004年定年退官。
著書に『銃の科学』『狙撃の科学』『重火器の科学』『拳銃の科学』(SBクリエイティブ)など多数。