第3回 なぜ瀋陽案は敗れたのか──J-20の開発背景(3)

問題となったインテークと機体構成

2004年の一次審査において「優れた技術的基盤に基づく設計」とされたものの、「未だ改良の余地あり」と評価され、瀋陽案は一旦凍結されてしまう。

瀋陽は直ちにインテークなどの改善を行なったとされるが、2007年の最終審査において、軍は成都の案を採用することを決定している。

瀋陽が落選した理由については明らかになっていないが、原因の一つはインテークのようだ。瀋陽は当初F-22と同じ二次元インテークに拘っていたようで、DSIインテークへの変更に上手く対応できなかったのかもしれない。

また、「主翼+水平尾翼+前尾翼」の機体構成は、高機動時に翼面荷重を低減させる利点が挙げられるが、一方で構造重量が増大するという不利を招く。

加えて、成都はJ-10において「クリップド・デルタ+前尾翼」の実用化に成功しており、その制御技術を手に入れたが、より複雑な瀋陽案の「主翼+水平尾翼+前尾翼」という3翼構成の制御は困難な課題と認識された可能性もある。

しかし瀋陽は、落選後も諦めることなく、自主的にステルス戦闘機(J-31)開発を継続するのだが、この新たな機体については別の機会に詳しく紹介したい。

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薗田浩毅元自衛隊情報専門官、軍事ライター、ネイリスト
(そのだ・ひろき)
1987年4月、航空自衛隊へ入隊(新隊員。現在の自衛官候補生)。所要の教育訓練の後、美保通信所等で勤務。 3等空曹へ昇任後、陸上自衛隊調査学校(現小平学校)に入校し、中国語を習得。
1997年に幹部候補生となり、幹部任官後は電子飛行測定隊にてYS-11EB型機のクルーや、防衛省情報本部にて情報専門官を務める。その他、空自作戦情報隊、航空支援集団司令部、西部および中部航空方面隊司令部にて勤務。2018年、退官。