第5回[後半] 原型機から空軍への引き渡しまでとF-35との関係──J-20の開発(3)

5.部隊運用試験段階──「2101」機〜

2015年12月末、これまでとは違う機体番号「2101」を付与され、プライマーイエロー1(下地塗料)に塗装されたJ-20が確認されている。翌2016年2月には「2102」もロールアウトしたことが認められた。

2015年末に登場した、プライマーイエローに塗装されたJ-20の「2101」機(Photo:Chinese Internet via 东兴证券研究所)

これらの機体がロールアウトした頃、成都航空機製造公司が所在する成都温江飛行場の近傍に巨大な航空機製造工場棟も完成した。

GoogleEarthによって見た、成都温江飛行場の全景(上)とその近傍にある巨大な航空機製造工場棟(下)

そして2016年11月には、甘粛省に所在する空軍の鼎新(ディンシン)基地にJ-20×2機が所在していることが商用画像衛星により確認された。


鼎新基地に2機のJ-20がいることを撮影した2016年11月17日の商用画像衛星写真(Alert5氏のTwitter投稿へのリンク。右上のTwitterアイコンをクリックするとリンク先へ移動できます)

2017年3月9日、中国中央テレビはそのニュース映像において、J-20が空軍部隊に配備されている旨を報道した。その後の商用衛星画像や中国国内のテレビ報道においてJ-20が鼎新基地のほか、河北省の滄州(ツァンジョウ)基地にも配備されていることが明らかになっている。

2017年9月28日、中国国防部のスポークスマンは定例記者会見において、記者の質問に答える形で、J-20がすでに空軍部隊に配備されていることを発表した。

鼎新基地と滄州基地の役割

鼎新基地は、ゴビ砂漠に建設された東洋随一の巨大な訓練空域を擁する基地で、空軍の戦術訓練のメッカである。所在する空軍176連隊は、航空機による戦術研究を任務としているといわれる。

また、滄州基地は空軍の「飛行試験訓練基地」と位置づけられており、新装備の運用指導や転換訓練をその任務とした「教導隊」的な性格を有している。

まとめると、2015年末よりJ-20は正式に空軍への引き渡しが開始され、低率初期生産2に移行したものと思われる。また、鼎新および滄州という二つの基地に所在する部隊の性格を考慮すると、同時期より空軍部隊における試験運用が開始されたと考えられる。

参考文献
・『F-35はどれほど強いのか』(青木謙知、SBクリエイティブ、2018年7月)
・「歼20战机已开始量产装备 有两大变化待解(图)」(2015年12月29日)
・「从2001号到2101号 多角度对比歼-20原型机与量产机」(2016年4月14日)
・「J-20s deployed to Dingxin airbase」(2016年12月7日)
・「特殊的769号民机,歼20综合航电测试机」(2017年2月13日)
・「国防部:歼-20已列装部队」(2017年9月28日)
・「专访歼-20首飞试飞员李刚:揭秘歼-20试飞背后的精彩故事」(2018年11月7日)
・「《开讲啦》20191026 歼-20隐身战斗机首飞试飞员李刚:刀尖上起舞,这种感觉很爽!」(2019年10月27日)
・「国防军工行业:战机研制生产过流程解析」(2019年11月10日)

連載「元自衛隊情報専門官から見た中国戦闘機」第5回[後半]─終─

脚注

  1. プライマーイエロー……中国機が機体色を塗られる前の姿(色)を指す。この黄色はさび止めなどを目的とした塗料と推定される。J-20の場合、この上からRAM材(対レーダーステルス塗料)が塗られたり、装着されたりする
  2. 低率初期生産……量産前の試行段階として、あえて少量を生産すること

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薗田浩毅元自衛隊情報専門官、軍事ライター、ネイリスト
(そのだ・ひろき)
1987年4月、航空自衛隊へ入隊(新隊員。現在の自衛官候補生)。所要の教育訓練の後、美保通信所等で勤務。 3等空曹へ昇任後、陸上自衛隊調査学校(現小平学校)に入校し、中国語を習得。
1997年に幹部候補生となり、幹部任官後は電子飛行測定隊にてYS-11EB型機のクルーや、防衛省情報本部にて情報専門官を務める。その他、空自作戦情報隊、航空支援集団司令部、西部および中部航空方面隊司令部にて勤務。2018年、退官。