
この講座では、通り一遍の記事や俗説に流されず、独自の視点で古今東西の軍事を巡る諸問題を解説していく。
もともと軍事関係の情報には事実誤認が少なくない上に、現代の事象については、当事国が自らにとって有利となる虚偽情報を発信することが多い。錯綜する情報を吟味し、筆者がこれまで積み上げた知見とネットワークを駆使して、技術的・論理的に分析を進めることで、その実相を見極めていきたい。
あくまでさまざまな情報を基に理詰めで進めるつもりではあるが、周りに迷惑がかかるようなソースは提示できないし、秘密のベールに包まれた軍事の世界である以上、最後のところは推測・仮説の範囲を出ない議論となる。読者諸兄は、その点をご理解いただいた上で、気軽に読んでいただきたい。
今回は、米軍のM1エイブラムス戦車を取り上げることにする。
M1戦車は、マニアの間では「世界最強」との呼び声が高い。素晴らしい実力を備えていることについて筆者も異論はないが、決して完全無欠ではない。M1戦車の「アキレス腱」について解説していこう。

新型戦車の開発が急務に
ソ連は、1965年のモスクワでのパレードで、115ミリ滑腔砲を搭載したT-62戦車を公開した。
滑腔砲とは、砲身内にライフリング(施条)を持たない大砲である。ライフリングによる摩擦抵抗がないので、砲弾の初速を高められるとともに、砲弾が旋転しないことが対戦車用のHEAT弾の発射に適している。当時、新世代の戦車砲として脚光を浴びていた。
新型戦車の配備を着々と進めるソ連に対し、米軍の主力であったM48戦車やM60戦車は、第二次世界大戦に登場したM26戦車をベースに機動性と火力を強化したもので、性能面ですでに旧式化していた。もともと米軍戦車部隊は、ソ連よりも数的に劣勢であった上に、質的にも差をつけられたのでは話にならない。
米国は西ドイツと新型戦車の共同開発を試みた。MBT-70計画である。しかし、共同開発にありがちな設計方針のずれや、開発の遅れ、開発費の高騰などにより、1971年に同計画はキャンセルとなった。

その後、1973年の第三次中東戦争では、エジプト軍がAT-3サガー対戦車ミサイルを集中使用して、イスラエル戦車部隊に大きな打撃を与えた。この戦訓を受けて、新型戦車には、対戦車ミサイル(HEAT弾)の脅威に対抗するための複合装甲が必要と判断された。
かくして複合装甲と前述の滑腔砲の組み合わせが、第三世代戦車の要件となったのである。
1974年にはソ連が125ミリ滑腔砲と複合装甲を搭載したT-72戦車1の生産を開始し、西側でも新型戦車の開発が急務となった。
西ドイツでは、1977年に西側初の第三世代戦車であるレオパルド2を正式採用したが、米国では開発に手間取った。ベトナム戦争の敗北により、米軍全体が沈滞していた影響が少なくなかったと思われる。
ようやくM1戦車が正式採用されたのは1981年であった。
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