第1回 J-20の開発背景(1)──意外にも早くに始められていた中国のステルス研究

経済発展を背景に隣国・中国の軍事面の成長は著しく、アメリカにも匹敵する勢いであることは目を逸らせない現実ではないかと思う。しかし一方で、伝わってくる情報は意外と少なく、その実力についてはベールに包まれている部分が多い。
本連載では、自衛隊情報専門官として中国軍を長く見てきた著者に、中国軍の戦闘機に焦点をあてて解説していただく。
そして初回は、アメリカしか実用化していなかったステルス戦闘機とされるJ-20の真贋を見極めていきたい。

米ゲーツ国防長官の訪中時に行なわれたJ-20の初飛行

成都航空機工業集団が開発したJ-20の量産型。中国語では殲-20(歼-20)または殲撃20型とも呼ばれる(Photo:SinoDefence/Flickr)

2011年1月11日午前、薄曇りの空の下、底冷えのする成都郊外の飛行場の格納庫から、見慣れない機体が引き出された。その航空機は、全体を黒く塗装され、矩形(くけい。長方形)の双尾翼がそそり立ち、側面から見る姿は扁平で大型の機体にしては低いシルエットである。

飛行前準備にゆっくりと時間をかけ、大勢の関係者と先に離陸したチェイサー(随伴機)のJ-10S(J-10復座型)に見守られながら、12時50分、灰色の冬空に向けアフターバーナーの蒼い炎を曳きながら舞い上がった。

飛行場上空の比較的低い高度を約18分間飛行した後、着陸した。再び駐機場に戻った同機の周囲には関係者が集まり、機体を降りたテストパイロットをとり囲んでいた。

これがJ-20の初飛行である。


(YouTubeにアップされているJ-20初飛行時の動画)

中国のJ-20は、この初飛行により初めて世界にその姿を現した。

この初飛行は、その特異な外観と共に、アメリカのゲーツ国防長官訪中の最中に行なわれ「外交的なパフォーマンスではないか」との憶測を呼んだこともあり、大いに世間の注目を浴びた。

J-20は、2015年末から初期ロットの生産が開始され、2018年10月には最初の量産型が部隊配備に至ったことが発表された。一方で、この機体には依然として明らかになっていない点も多々ある。

本記事では、主として中国国内の資料・報道などから、J-20の開発〜配備、設計・運用思想、その能力などについて紹介していく。第一回の本稿では、J-20の設計・開発に至るまでの中国軍および中国二大戦闘機メーカーの動きについて見てみたい。

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薗田浩毅元自衛隊情報専門官、軍事ライター、ネイリスト
(そのだ・ひろき)
1987年4月、航空自衛隊へ入隊(新隊員。現在の自衛官候補生)。所要の教育訓練の後、美保通信所等で勤務。 3等空曹へ昇任後、陸上自衛隊調査学校(現小平学校)に入校し、中国語を習得。
1997年に幹部候補生となり、幹部任官後は電子飛行測定隊にてYS-11EB型機のクルーや、防衛省情報本部にて情報専門官を務める。その他、空自作戦情報隊、航空支援集団司令部、西部および中部航空方面隊司令部にて勤務。2018年、退官。