第2回 J-20の開発背景(2)──要求仕様と開発コンペ

元自衛隊情報専門官から見た中国戦闘機
前回は、アメリカとの軍事技術交流が盛んであった中国は1980年代に早くもステルス研究を開始していたが、1989年の天安門事件による欧米と政治決裂により、航空機開発も一気に国産化へと動き出すこととなったことを紹介した。
本稿では、当時の中国の国情から、J-20に求められた要求仕様がどのようなものであったかを推測していく。

「中国の国情に合うステルス機」

李天は、その回想録において1996年から始まった第9次5ヵ年計画の目標について「中国の国情を考慮し、ステルス性能と空力性能をバランス良く考慮、追求しなければならなかった」と述べており、この発言から、空軍がそれまでの研究成果を基に新世代戦闘機の要求仕様を1996年には提示していたことが窺える。

提示された要求仕様は現在までのところ未公開であり、細部要求性能は窺い知ることができないが、要求を受けた中国の技術者たちは、F-117やF-22のコピーを作る気はなかったようである。
李天はF-117について「特殊なステルス攻撃機で、自己の電子戦能力や戦場認識能力が欠落しており、中国に必要ない」と切り捨てている。

瀋陽航空機のパンフレットで紹介されている李天

1996年当時、すでにアメリカ軍が採用を決定していたもう1機のステルス機はF-22であった。
開発チームはF-22と推定される測定用模型を作成し、ステルス・空力特性などの計測を行ない、新世代戦闘機に必要なデータとして収集している。

また、J-20の開発メンバーの一人がインタビューにおいて「F-22の最大揚力係数を当初『2.0』と推定し、J-20の最大揚力係数をより高く設定した」と発言していることから、F-22はJ-20が超越すべき“ベンチマーク”であったことは間違いない。(※1)
中国空軍が「F-22を凌ぐ性能」をJ-20に求めたのは当然であったろう。

李天は、同じ回想において中国の防衛思想について「国土・海洋を防衛し、敵による侵犯を許さず、必要に応じ周辺の戦争にも対応する」と語っている。要は「国土に依拠して防衛的な作戦を展開する」ということだ。

(※1)当初、中国語資料を直訳し「揚力係数」としていたが、揚力係数は翼の迎角とともに変化するものであり「最大揚力係数」に変更した。

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薗田浩毅元自衛隊情報専門官、軍事ライター、ネイリスト
(そのだ・ひろき)
1987年4月、航空自衛隊へ入隊(新隊員。現在の自衛官候補生)。所要の教育訓練の後、美保通信所等で勤務。 3等空曹へ昇任後、陸上自衛隊調査学校(現小平学校)に入校し、中国語を習得。
1997年に幹部候補生となり、幹部任官後は電子飛行測定隊にてYS-11EB型機のクルーや、防衛省情報本部にて情報専門官を務める。その他、空自作戦情報隊、航空支援集団司令部、西部および中部航空方面隊司令部にて勤務。2018年、退官。