第5回[前半] 初飛行後に検証機はどう変わっていったか──J-20の開発(2)

「2004号機」が消えた理由

しかし、「2004」の機体番号を付与された検証機はほどなく認められなくなり、代わりに番号表記のない機体が試験飛行を行なっていた時期がある。

この理由は不明なのだが、中国語の「四」は「死」と同じ発音のため、縁起を担いで「4」を使用しなかったのではないかという説がある。いわゆる「忌数(いみかず)」という迷信である。日本でもホテルの部屋番号に「4」がなかったりするのは、この「忌数」にまつわる縁起担ぎであるのはご存じの方も多いだろう。

実際の管理を考えれば、欠番を行なってしまうのは極めて不合理なのであるが、後述する原型機においても「4」番目を表記した機体は確認されていない。大きな危険を伴う航空機開発において、彼らが本当にこのような縁起を担いでいたとすれば、同じ漢字文化を持つ東洋人としては理解できる。

「2003」号機はどこへ?

これら2機の検証機は、成都における飛行試験の後、2013年末までに西安閻良に所在する中国飛行試験研究院に移動した。これは、成都航空機の手を離れ、国家による試験に移行したことを意味する。

なお「2003」号機は確認されていないが、地上における静強度試験(機体に想定した強度があるかを、機体が壊れるまで測定する試験)やステルス関連の試験に用いられていた可能性がある。

地上の電波測定用と推定される施設において、マスト上に固定されたJ-20の写真がウェブ上に流出した。おそらく実際のRCSなどを測定している際のものと推定され、この写真の機体が2003号を付与されていた機体の可能性がある。

中国のウェブサイトに流出した、RCSを測定するためにマスト上に固定されたJ-20の写真

参考文献
・『F-35はどれほど強いのか』(青木謙知、SBクリエイティブ、2018年7月)
・「歼20战机已开始量产装备 有两大变化待解(图)」(2015年12月29日)
・「从2001号到2101号 多角度对比歼-20原型机与量产机」(2016年4月14日)
・「J-20s deployed to Dingxin airbase」(2016年12月7日)
・「特殊的769号民机,歼20综合航电测试机」(2017年2月13日)
・「国防部:歼-20已列装部队」(2017年9月28日)
・「专访歼-20首飞试飞员李刚:揭秘歼-20试飞背后的精彩故事」(2018年11月7日)
・「《开讲啦》20191026 歼-20隐身战斗机首飞试飞员李刚:刀尖上起舞,这种感觉很爽!」(2019年10月27日)
・「国防军工行业:战机研制生产过流程解析」(2019年11月10日)

連載「元自衛隊情報専門官から見た中国戦闘機」第5回[前半]─終─

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薗田浩毅元自衛隊情報専門官、軍事ライター、ネイリスト
(そのだ・ひろき)
1987年4月、航空自衛隊へ入隊(新隊員。現在の自衛官候補生)。所要の教育訓練の後、美保通信所等で勤務。 3等空曹へ昇任後、陸上自衛隊調査学校(現小平学校)に入校し、中国語を習得。
1997年に幹部候補生となり、幹部任官後は電子飛行測定隊にてYS-11EB型機のクルーや、防衛省情報本部にて情報専門官を務める。その他、空自作戦情報隊、航空支援集団司令部、西部および中部航空方面隊司令部にて勤務。2018年、退官。